Home >>  X>> HIDE >> hide秘話 〜 HIDE話色々 


# Xの「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」というフレーズを考案。
これがヴィジュアル系という言葉を生み出したのはhideと言われる所以になる。
また、hideが音楽界に与えた視覚面や音楽面の影響は多大で、音楽ライターの市川哲史などからヴィジュアル系はhideから始まってhideで終わったとも言われている。


# ファン想いであることが有名で、大物になるほど回避しがちなTV出演について
「地方でライヴに来られないファンの為にも出る」と積極的であったり、
「チケット代も安くないのに、更に高いお金を遣わせるのはいけない」
と、ソロ活動についての関連グッズは全て5,000円以下であったという。


# hideが初めて手にしたギターは新古品のギブソンのレスポール(ナチュラルカラーのレスポールデラックスモデル)であった。
祖母に無理だと思って頼んでおいたら、在日米軍横須賀基地内に出入りが出来たのでフリーマーケットで買ってきてくれたという。
当時は現在以上に高級品でロック好きには憧れの的であったために、隣の学校や、
「友達の友達」という人までが自宅にギターを見に来るという状況になった。だ
がそのギターは、PATA曰く「金がなかった頃に売っちゃたのかもしれない」とのこと。
そのため、記念すべきhideの最初のギターの行方は誰にもわからない。


# サーベルタイガー時代、当時デッド・ワイヤーのドラム・TETSUを迎えようと電話したところ、TETSUは留守で母親が出てきて、伝言を頼んだ。
しかし、本名を名乗っていたため、TETSUには「松本さんという方から、一緒にバンドをやりませんか?」としか伝わらず、無視することに。
しかし、サーベルタイガーに加入するといううわさがデッド・ワイヤーに広まってしまい、TETSUとTAIJIが大喧嘩。
結果、引っ込みのつかなくなったTETSUがサーベルタイガーに加入したが、これが元で一時hideとTAIJIの仲は気まずいものになってしまった。


# また、kyoをサーベルタイガーのメンバーに加えようとしたとき、待ち合わせ場所にkyoがライブ並の格好でhide曰く、「モーセの十戒のごとく」人が避ける様を見て、
「他人の振りして逃げようかと思った」と言っている。
ただ、kyoも「お前も人の事言えなかったろうが」と返している。


# サーベルタイガー解散の理由は、REMが私用でライブをすっぽがし、裏でローディーがギターを弾いてごまかすという事件があり、これに疑問を持ったTETSUが脱退を表明、それを聞いたhide・kyo・TOKIも「今のメンバー以外にはありえない」として解散を決意した。


# 解散後も、hide・kyo・TETSUはお互いに自分のバンドを持っているにもかかわらず、「元サーベルタイガーの○○です」と、言っていた。


# hideがサーベルタイガーを解散させ、ミュージシャンを辞める決意をしたとき、親交のあったミュージシャンにその事を電話で話した。
しかし、サーベルタイガー時代からhideの活躍ぶりは有名で中にはバンドへの誘いもあったが全部断ってきた。
その最後にYOSHIKIに掛けた際、 YOSHIKIに「Xに入らない?」と誘われた際、hideは、
「ちょっと考えさせて。」と言った。翌日、都内にある居酒屋でそのことを承諾すると、それまでそばでおとなしくしていたTOSHIとTAIJIが歓喜をあげ、酒を飲みまくり挙句の果てには組体操まで行うことになったという。


# 1992年ごろ、Xの全盛期にTOSHIが単独で持っていたラジオ番組「オールナイトニッポン」にYOSHIKIがゲスト出演した回に番組終盤突如乱入。
YOSHIKIが本番中に火を噴こうとする、さらに酒を追加する、そこらじゅうのボタンをいじってわけのわからないSEが鳴るなど既に放送事故スレスレであったが、
HIDEの乱入で更に番組は崩壊。
完全に泥酔状態で呂律も回らず既に泥酔状態のYOSHIKIと共に進行を妨げ、終始かつての飲みに TOSHIが来なかった事にこだわり続けていた(TOSHI曰く出入り禁止を喰らったとのこと)。そして、たまたまおはようナイスデイの取材に来ていた東海林のり子の実況と共に平和な深夜番組を破壊しつくした。




Home >>  X>> HIDE >> hide秘話 〜 HIDE話色々