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1992年
     
1月
      東京ドーム3DAYSの1週間後、高崎晃(タッカン)が、TAIJI に連絡を取り、
   レコーディングが決定
     わずか1週間後には、山中湖で合宿に入る
     午前11時半起床、正午から時まで昼食をとり、スタジオ入り
     ひたすらレコーディングをして、夕方7時から8時まで夕食、
   その後ふたたびスタジオに入り、深夜0時過ぎまで作業は続く
     0時以降は、夜食をとりながら一日の反省会
     テープを聞きながら、メンバーでアレンジなどの話を中心にした反省点をあげていく
     深夜3時過ぎ、部屋に帰るという規則正しい生活を送る
     最初はおとなしかったTAIJIも、だんだんと食欲も出て、お酒の量も増え、
   毎夜の宴会(反省会)となる
 
     ベースの弾き過ぎで、腱鞘炎となる
     レコーディングは約4週間続く
 
1月31日
      TAIJI、Xを正式脱退
      この時点ではまだLOUDNESESのニューアルバムのサポートメンバー
    としての参加
     
4月初旬
      ニューアルバム完成
4月中旬〜下旬
      TAIJI、LOUDNESSに正式加入
      各音楽雑誌の取材攻勢
      アリーナ37℃で連載中の「中島和之の『俺はヘアメイク稼業』」での中島氏の
    エッセイに感動し、ファックスを送る(92年6月号)
      対談やインタビューなどを受ける
      そのフォトセッションに使われたスタジオで、PATAと遭遇、
    一緒に記念写真を撮る
5月25日
      シングル「BLACK WOMAN」発売
5月28日〜29日
      「ONCE AND FOR ALL」(クラブサーキット)ツアー開始
      札幌ペニーレイン24
6月1日
      川崎クラブチッタ(後にビデオ「ONCE AND FOR ALL」として発売)
6月5日
      名古屋ボトムライン
       


6月6日
      大阪モーダホール
6月10日
      ニューアルバム「LOUDNESS」発売!
      「Welcome to the SLAUGHTAR HOUSE」ツアー開始
     
7月20日〜21日
      中野サンプラザ
      21日のアンコールで、NASAKIがタッカンを肩車する事件勃発
    (もちろんタッカンはそれでもギターを弾いた)
      TAIJIは「何て足腰が強い人なんだろう!」と驚いていた
      この日のライブは、後にビデオ
    「Welcome to the SLAUGHTAR HOUSE」発売
8月中旬
      初のOFF、TAIJIは実家のある市川へ
 
9月
      秋のツアーへ向けてのリハーサル
      ファンクラブ「LOUDICT」から会報「Jungle Gym」創刊
 
9月21日
      「SLAUGHTAR HOUSE 2〜POWER STORM〜」ツアー開始
9月27日〜28日
      渋谷公会堂
 
11月17日
      「SLAUGHTAR HOUSE2〜LOVE NEVER DIES〜」ツアー開始
      浜松市民会館
11月27日
      鹿児島市民文化第一ホール
      この鹿児島で、TAIJIは初のゴルフ経験!
    ラウンドを回るが、ほとんど山登りと化していたらしい
      このライブには、家主も宮崎から駆けつける。
    客層は、このテの音楽にうとい人が多かったせいか、しばし呆然としてい
    たが、途中MASAKIが客席へ飛び降りて、アオり始めると、客席も爆発!
      後にメンバーが音楽雑誌に「鹿児島は面白かった」と語るほどの
    ライブとなった。


 1993年
     
2月
      「Jungle Gym」2号発刊
 
5月
      LOUDNESS、事務所との契約が切れる
      マサキが脱退の意を示す(後に翻意)
6月
      TAIJI、「LOUDNESSに参加出来る」という条件で、
    個人管理会社「TAOコーポレーション」設立

       「Jungle Gym」3号発刊
8月
        TAIJI、渋谷のイケベ楽器店でオベーションを購入
8月4日
       TAIJIのファンクラブ会報「GASOLINE COWBOY」に載せる写真を撮影する
     ために伊豆へ!
       購入したばかりのオベーションを抱えてリフトに乗るTAIJIの写真が会報に
     載っている
       旅行には、 友人でヘアメイクの「なかじ」こと中島和之も同行
8月15日
       我孫子市民会館にて行われた北海道南西沖自信チャリティーを兼ねた
     「第9回YOUNG MUSIC FESTIVAL」のゲスト審査員として出演
        チャリティーとして、サイン色紙を提供
       ゲストとして、TAIJIの妹沢田雅世のバンド「CLICKET」も出演
 
       契約が切れ、LOUDNESSメンバー同志でさえ連絡がとれない
    状況の中、以前の事務所が樋口の契約を続行する方向で動き、
    マサキにもLOUDNESSに戻るよう説得
        


10月
       TAIJI FAN CLUB「GASOLINE COWBOY」発足
 
       TAIJI、竹内光雄をソロ活動に誘う
 
11月初旬
       LOUDNESS復活の知らせが樋口より届くが、その4日ほど前に、
    「TAOコーポレーション」ではTAIJIのソロプロジェクトを動かす
     決心を固めていた
 
        TAIJI、LOUDNESS脱退
        樋口宗孝、LOUDNESS脱退
     
11月8日
       渋谷ON AIRで、「外道」のライブにセッション参加!
       加納秀人やそうる透、関谷聡らと迫力のライブを行う
 
11月下旬
       「SHOXX」vol.21に、TAIJIの撮り下ろし写真とコメントが巻頭で載る
 
12月
       TAIJIの個人ファンクラブ「GASOLINE COWBOY」会報1号発刊
12月24日
    
「LOUDICT」閉会の通知が、Tシャツや特製ビデオとともにファンクラブ
    会員に届く


 1994年

      年明けて、レコーディングに突入、横浜のランドマークタワー内の
   レコーディングスタジオで、毎日遅くまでリズムとギター録り

3月15日〜18日
      ジャケットとビデオの撮影のためレコーディングより1週間早くLAへ
      本当は2月に出発の予定が延期になったが、そのおかげでLA地震を
    さけることになった
      コーディネーターは、「BLACK RAIN」をコーディネートした人で
   LAで3本の指に入るという
      撮影はPOLICEMANを護衛に行われ、日本人初のRANDSBURGでの
    撮影も無事終了
      現地の人にも気に入られ、「アメリカでやれば」と言われていた
     
      LAで、Vo録りとトラックダウン

      竹内が腰を痛めてしまった時、毎日TAIJIが食事を作って運んでいた
    いう
          スタッフは、この時期、TAIJIがほとんど毎日作ってくれる夕食に
    動していたらしい
 
 
4月中旬
      LAでのレコーディングが終わり、ビデオ「CYBERENTIC CRIME」
    の撮影がLAのダウンタウンで行われた
 
 
4月下旬
      ファンクラブ会員に、「D.T.R」の発表とメンバー、デビューライブを
    知らせる葉書が届く
       この時のメンバーは、沢田泰司(B)、竹内光雄(Vo)、藤本泰司(G)、
    岡部俊彦(DS)、ICHIRO(G)<support>、小森茂生(Key)<support>
 
5月
       ファンクラブ会報2号が届く
       2号より、TAIJI個人ファンクラブから、D.T.Rファンクラブへと移行する
5月下旬
       デビューライブ前日のファンクラブ限定シークレットGIGの知らせが
     ファンクラブ会員あてに届く
     この頃、音楽雑誌でもニューアルバム等発表の記事が載る
     
6月28日
       恵比寿ギルティでデビュー前夜のファンクラブ限定シークレットGIGが
    行われる
       前座に、黒田朋幸(通称TOMO)の率いるバンドが出演、
    大いに盛り上げる(TOMOは、その後、D.T.Rの正式メンバーに)
       その後、D.T.Rが登場すると、テンションは最高潮に達する
6月29日
       渋谷公会堂にて、デビューライブ!「Drive To Revolution」
       超満員の観客を前に、迫力のステージを展開
 


7月1日
       デビューアルバム「DIRTY TRASHROAD」とミニアルバム
    「DIRTY TRASHROAD〜Acoustic」(完全限定版)を同時発売

7月23日
       竹内の故郷である群馬県太田市の祭りで、D.T.Rのイベント開催
       質問コーナーや、サイン、握手ありと大サービスの上、
    予定外のアコースティックライブまで行われた
8月初旬
       会報3号発刊
       黒田朋幸(TOMO)が正式メンバーに
 
8月21日
       「DRIVE TO REVOLUTION」ツアー開始
        
10月16日
       竹内とTOMOのバースデーパーティが目黒鹿鳴館でファンクラブ限定の
    シークレットライブとして行われた
       鹿鳴館の店長も加わり、レインボーのコピーなどで盛り上がった
       藤本は、1曲めでドラムを叩き、TOMOは、ボーカル、
    カメラマンの今井君がベースを弾いた
       TAIJIはもちろんレインボーのコピーは完璧(ベースかギターかは不明)

11月26日
       D.T.Rのビデオ「DRIVE TO REVOLUTION」発売
       9月12日の渋谷公会堂ライブを収録
11月19日〜26日
       全国各地でビデオ発売を記念したビデオコンサートを開催、
     ライブシーン、TAIJIやメンバーのインタビューやプライベートシーンも交えた
     ビデオを入場無料で公開した
 
12月
       2ndアルバムのレコーディングのリハーサルを都内のスタジオで開始
12月18日
       大阪WOHOLでD.T.Rフェアが開催、
    その後、大阪HARD ROCK CAFEでKiller Criminal Phoenixの
    贈呈式が行われた
       初のBASS贈呈で、TAIJIは「嬉しい」を連発!
12月
       アリーナ37℃(音楽専科社)よりD.T.R写真集
    「Drive To Revolution」が発売される


 1995年

1月10日
       川崎クラブチッタでオールスタンディングイベント開催
       岡本健一率いるADDICT OF THE TRIP MINDSとのセッションもあった
1月22日
       渋谷公会堂ライブ
1月24日
        レコーディング本番スタート
        伊豆Kity Studioに入りレコーディングがはじまった
3月
        東京にてトラックダウン開始
3月4日
        渋谷ON AIR EASTで行われた神戸チャリティー
     コンサート
     「ROCK ON KOBE」に参加ACTION、ZIGGY、
     プラネットアース、
      山本恭司、寺田恵子、TUSK、西田昌史が
      ステージに上がった他、
      参加できなかったイエローモンキーやガーゴイル、
     KENらからは
      オークション用のグッズが送られ、330万円が
     集まった
3月
        藤本の誕生日より数日遅れて、六本木の「PiPS」で
     バースデーパーティ、
     オベーションのギターがプレゼントされる
3月12日
        札幌シェルドンギターズでTAIJIのサイン会、
      アルバム完成直後のため、日帰り強行スケジュールとなるが、
      しっかりおばさま団体にもまれながら、カニを買って帰ったらしい
        サイン会は大盛況で、泣き出すファンも続出

5月24日〜25日
        「CLUB HOUSE GIGS TOUR 1995」スタート
        日清パワーステーションで2ndアルバム発売記念の2daysライブ
5月25日
        レコーディング時間が1000時間を超えた、
     2nd Album「DARING TRIBAL ROAR」と
     1st Single「CHAIN<絆>/ I BELIEVE…」同時発売
     この時期、青木秀一プロデュースの「Kings」のベース録りが行われる
     
7月4日
        ミーティングでキーボードの清水賢治が正式メンバーに決定
7月6日
        ON AIR EASTでのライブでファンに発表
7月12日
         TAIJIのバースデー、スタッフ身内で集まりアットホームなパーティが行われた
8月29日
        D.T.Rのメンバー全員とスタッフでキャンプへ
        TAIJIの愛娘珠梨愛ちゃんも一緒
        皆でバーベキューの後、夜釣りを楽しむ
9月24日
        六本木PiPSでファンクラブの集い(東京編)が行われ、
      TAIJIは「imagine」を熱唱!メンバーとファンとのセッションも行われ、
      D.T.Rをバックに歌うなどファンにとって夢のようなライブとなった
11月5日
        神戸学院大学学園祭でライブ予定だったが、TAIJIの事故による左手の骨折と
     竹内の入院のため、やむなくキャンセル、代わりにGRAND SLAMが出演した

       同日、目黒鹿鳴館でTHE ULTRA SESSIONと題したライブに、藤本が参加、
    さまざまなミュージシャンとのセッション大会となった
11月10日
        大阪バナナホールでも同様のセッションが行われた
11月19日
        ファンクラブによるD.T.Rのメンバーに品のチャリティーオークション大会が
     開かれ、ルーマニアのエイズの子供たちに売上金と三輪車をプレゼントした
 
     
この後、しばらく情報なし



1996年

5月
        竹内光雄の突然の脱退がファンクラブから発表される
        4月には正式に脱退となっていたもよう
        本人よりの直接は知らされず、代理人による通達
        メンバー全員凄いショックを受けると同時にD.T.Rやファンクラブの
      活動も休止となる会報は、6号でストップ
6月8日
        キラーギターズによるTAIJIのサイン会が島村楽器赤羽支店で行われる
6月16日
        すみや静岡駅前店でのサイン会
7月6日
        島村楽器札幌店
7月7日
        エルム楽器

     
    この後、情報は跡絶える
    途中、TOMOのバンド結成の知らせや藤本のライブの知らせなど
  音楽情報誌に載るが、TAIJI自身の情報は皆無



1997年

同じく情報なし

9月22日
        XJAPAN解散発表
12月31日
        東京ドームにてXJAPANラストライブが行われる



1998年
     
5月2日
        HIDEが不慮の事故により死亡
5月6日
        HIDEのお通夜にTAIJIが現われたとの情報が大島暁美氏や
     東海林のり子氏によりある
5月7日
        HIDEの告別式
        X JAPANのメンバーが勢ぞろいし、「FOREVER LOVE」を演奏した時に
     HIDEの祭壇の前にたたずむTAIJIを発見
        メンバーとともにHIDEの死を悼む
       



7月下旬
        「ロッキンf」9月号にTAIJIが樋口宗孝プロデュースによるCOZY POWELLの
     追悼アルバム「COZY POWELL FOREVER」に参加するという情報が載る
8月下旬
        「ロッキンf」10月号の巻頭カラーページに「沢田泰司」のインタビューと
      写真が独占取材で載る
         空白の2年間や復活への話、HIDEの話などが語られる
9月19日
        「COZY POWELL FOREVER」発売
         TAIJIは5曲目の「KILL THE KING」にベースとして参加
9月下旬
        「ロッキンf」11月号にTAIJIのポスターがつく
        読者のページの反響がすごかった
        「GIGS」でもカラーページでインタビューと写真が載る
        「COZY POWELL FOREVER」の全国ツアーに参加との情報が載る
10月27日
        川崎クラブチッタでの「COZY POWELL FOREVER」初日、
     6時前に扉に「沢田泰司、急病の為、出演取消」の貼紙がでる
        ベースは初代LOUDNESSの山下氏が代理出演
        この後のツアーの参加も危ぶまれている
10月30日
        SLYのファンクラブの情報では、全公演オールキャンセルとある

11月4日
          TAIJIが、樋口宗孝プロデュースによる、
          ジーパウエルトリビュートアルバム「Cozy Powell Forever」の
            KI LL THINGにベーシストとして参加し、そのツアーも全日程参加する予定
    だったが10月26日に緊急入院のため、この日の博多でのライブもキャンセル
    (と言うか、全日程キャンセル)となった
       ベーシストは、山下昌良氏がつとめた
       年内中は入院生活を送る


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