YOSHIKI
伝説の始まりは・・・](]-JAPAN)。
特異なヴィジュアルから奏でられる静と動のリズム。
ライブ動員、CDセールスなど未曾有の記録を打ち立てながら激しく時代を駆け抜けた 記録と記憶を残したモンスターバンド。
]をやっているうちにメンバーが家族みたいになってしまったので・・・
家族って崩壊しないじゃないですか?
基本的には。
形は変わっても続いていくものだと思っていましたが・・・
1997年9月22日 ]-JAPAN 解散発表
その引き金となったのは、ヴォカールであり、5歳からの幼なじみのTOSHIの脱退宣言によるものだった。
そして家族最後のだんらんとなったのが、
1997年12月31日 東京ドームで行われた解散コンサート。
YOSHIKIとしては解散コンサート自体やりたくなかった。
「もうイヤだったんです。全てが!」
と言っているように。
TOSHIが解散のきっかけになってしまったので、YOSHIKIは頭にきちゃっててステージで会ったらぶっとばしてやろうと・・・くらいに思っていた。
だけど、TOSHIとすれ違うシーンがあるんですけれど、その時目の前にいたTOSHIは・・・
僕が頭にきているTOSHIじゃなくて幼なじみ一緒に育ってきたTOSHIがいたのでついつい抱きしめてしまった。
さらに翌年、ギタリストのHIDEがかえらぬ人となった。
1998年5月2日。
深い悲しみ、逃れられない絶望感にYOSHIKIは表舞台から姿を消してしまった・・・
そんなYOSHIKIを表舞台から呼び寄せたのが、原点であるクラシック。
1999年11月12日『天皇陛下即位10周年記念式典』
にて、自ら作曲したピアノ協奏曲『アニバーサリー』を披露。
4歳からクラシックピアノをはじめ、9歳ぐらいまではクラシックしか知らなかったし、聴かなかったし、クラシックしかやってなかった。
子供の時からピアニストになろうと思ってました。
そして、自らのルーツを込めた12年ぶりのクラシックアルバム『エターナル メロディU』に加え、2002年に行ったオーケストラとのコラボレーションライブを収めたDVDを発表しついに本格始動へ!!
このプロジェクトの構想自体はYOSHIKIが1991年頃から持っていたとされる。
当初はYOSHIKIのソロプロジェクトという見方をされて1997年のX-JAPAN解散後には、それがいつ具体化するかに注目が集まる。
しかし1998年、hideの死去でYOSHIKIが精神的にダウンしてしまい、プロジェクト自体が延びてしまう。
だが、プロジェクトの楽曲製作は常に行われていた様で、アメリカ映画「in god's hands」(1998年、ザルマン・キング監督)にVioletUK名義で「sane」を提供。
2000年にはセブンイレブン日本法人の企業イメージCMに自ら出演し、CM楽曲にVioletUKの楽曲を使っている。
2002年春に発売されたX-JAPANの「THE LAST LIVE
VIDEO」では、ラストで韓国・ソウルでのプロモーションの映像と共に「VIOLET UK COMING SOON!」というテロップが入り、
さらには同年の年末に行われた「YOSHIKI Symphonic Concert 2002 featuring VIOLET
UK」(東京国際フォーラム)では、ヴォーカルも入ったオーケストラヴァージョンでVioletUKの楽曲が披露されている。
レコーディングは続けられ、これまでに製作された楽曲は300曲を超えている。
結局、YOSHIKI自身が構想を抱いてから14年もの歳月が過ぎ、ようやく2005年9月22日(=9月22日はX
JAPAN解散日)にデビューすることを発表。
ちなみにVIOLET
UKのレコーディングにかかった費用はすでに12億円を超えている(2005年6月26日放送「ソロモンの王宮」番組中のYOSHIKI自身の発言より)。
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